争点 [編集]
尖閣諸島を巡る日中間の争点は以下の通りである。
誰が最初に発見し、実効支配をしたか
1895年1月14日の日本による尖閣諸島編入の有効性
第二次世界大戦の戦後処理の妥当性
以下、各争点について日中両国の主張を整理する(ただし、各国政府の主張を一言一句正確に記述したものでない)。
誰が最初に発見し、実効支配をしたか [編集]
国際法上、発見は未成熟権原とされ、領域権原取得のための優先的権利の取得にすぎないとされている(パルマス島の判例)。また、東グリーンランドの裁判において「定住に向かない、無人の地では、他国が優越する主張をしない限り微かな実効支配でも有効」と判示され、近年の無人島の判例(ライタン・シパダン島等)でも支持されている。また、マンキエ・エクレオの判例において、中世の諸事情に基づく間接的推定は実効支配と認定されず、当該地の課税や裁判の記録等の司法、行政、立法の権限を行使した直接的証拠が必要とされた。
中国側の主張
1403年(明代)に著された『順風相送』という書物に釣魚台の文字がある。 また1534年の冊封使・陳侃(チン・カン)の報告書である『使琉球録』にも「釣魚台を目印に航行した」との記述がある。 これらのことから、明の時代にすでに中国人が釣魚台(尖閣諸島)の存在を知っていたのは明らかである。
1785年に日本の経世論家・林子平(はやし しへい)によって著された『三国通覧図説』という書物に付属している『琉球三省其三十六島之図』[141]という地図で、釣魚台列島が中国大陸と同じ色で彩色されている。これは日本においても釣魚台列島が中国の領土と認識されていた証である。
これらを総合的に判断するなら、釣魚台は中国領であった。
日本側の主張
陳侃などを乗せた冊封船は、朝貢に来た琉球人の先導と操船によって運用されており、琉球人が中国人より先に尖閣諸島の存在を知っていたのは明らかである。
古文書では尖閣諸島は琉球に付随して記されており、どこに属するかは記されていない。 古文書に記されていても実効支配した国の痕跡が見られない以上、その島は無主地と判断するのが妥当。
1743年に清の乾隆帝の命により編纂された地理書『大清一統志』の第335巻には、台湾府の北東端が「鶏籠城」(現基隆市)と記され、また同本に収録の「台湾府図」にも「鶏籠城界」と書かれており、尖閣群島を台湾付属島嶼に含めていない[24][25]。
江戸時代の経世家林子平が著した三国通覧図説(1786年天明6年)の追図『琉球三省其三十六島之図』[142]において、九州などが緑色、琉球王国領は薄茶色であるのに対して尖閣諸島は中国大陸と同じ桜色で彩色されている。しかしこの地図は台湾が正式に中国に編入されて以降に作成されたにもかかわらず台湾を中国とは異なる黄色に塗り、大きさを沖縄本島の1/3に描くなど不正確な点も多い。そもそも、著者の林子平は著作時には仙台藩伊達家の家臣であり当時独立国であった琉球王国の尚氏とは無関係で、林子平の認識が正しい保証もないし[143]、林子平が私人の立場で書いたものであり日本政府の意思を反映したものではない[144]。むろん琉球王国の国境を決める権限もない。したがって、この地図の彩色と領土とは全く関係しない。
沖縄本島の住民は、尖閣列島を「ユクン・クバジマ」、八重山では「イーグン・クバジマ」と呼んでいた[145]。また、沖縄の先島諸島では、魚釣島をユクン、久場島をクバシマ、大正島を久米赤島と呼んでいた。他にも沖縄では、魚釣島をヨコンシマ・和平山、大正島をエクンシマ、久場島をチャウス島、北小島を鳥島やシマグワー、南小島を蛇島やシマグワーなどと呼んでいた。[146][147][33][148]
1871年に発生した牡丹社事件の事後処理のために清朝政府を訪れた日本の外務卿・副島種臣に対して清朝政府は責任を負わないと言明している。尖閣諸島よりも大陸に近い台湾ですら実効支配している認識がなかったのであるから、清朝が尖閣諸島の領有を認識していないのは明白。
以上のことから尖閣諸島は沖縄や中国では古来より沖縄の属島と見做されており中国に属したことは一度もない。
1895年の日本による尖閣諸島編入の有効性 [編集]
国際法で言う先占の法理をどう解釈し、認めていくかがこの問題の焦点である。
つまり、古文書に名前のある島は自動的に領土としたことになるのか否かの問題である。中国側は領土になると主張し、日本側は島の名前を記しただけでは何処の領土か不明であり実効支配していなければ無主地であるとしている。無主地であるならば先占の法理を適用し得るし、日本の1885年から1895年1月まで行われた編入の手続きはその手順に則っているのだから有効である、というのが日本側の主張である。ただし、その最終決定は日清戦争(にっしんせんそう、中国語:甲午戦争、第一次中日戦争、英語:First Sino-Japanese War)、1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる大日本帝国と大清国の戦争中であった。
なお、国際司法裁判所等の判例においては、不明瞭な記録による間接的推定は認められず、課税や裁判記録といった行政、司法、立法の権限を行使した疑義のない実効支配の直接的証拠が要求されている。[149][150]
中国側の主張
多くの文献に明らかなように少なくとも明の時代から中国では知られていたのだから無主地などでなく日本の先占は無効。
日本政府は沖縄県に対して内々の調査を命じている。これは中国領と認識していたからに他ならない。
甲午中日戦争(日本で言うところの日清戦争)に勝利した勢いで、その戦後処理を取り決めた馬関条約(日本で言うところの下関条約1895年5月10日公布)にない、条約によらず不法に奪い取ったものである。したがって、釣魚台列島は中国に返されるべきである。
日本側の主張
早くから中国も尖閣諸島の存在を知っていたことは間違いない。しかし永続的に実効支配し続けようという国家意思が見られない島については、無主地と判断するのが国際法上妥当である。
日本政府が内々の調査を命じているのは、明治維新後の混乱が治まり内閣制度が始まったばかりの時期で、日本がまだ弱体な為に外国の干渉を受ける可能性があったからである。そもそも国内を調査するのに大々的に発表したり外国に報告する必要はない。正式な領有宣言まで10年間以上も調査を行い、この間に中国が尖閣諸島に全く関与していないことを確認している。
下関条約には尖閣諸島の割譲は記されていない、従って条約締結以前から日本の領土であったと中国側も認めていたのであり、日清戦争で奪ったものではない(日本は下関条約の10年も前から尖閣諸島の調査、開拓を始めている)。また、東沙島を台湾(当時日本領)に編入しようとする日本の動きに対し、清国は1909年に抗議を行ったが[151]、日本が尖閣諸島を領土として編入したことには抗議を行っていないので、中国側が尖閣諸島を沖縄の属島と見做し、始めから日本の領土であったと認識していたのは明白である。
第二次世界大戦の戦後処理の妥当性 [編集]
第二次世界大戦の戦後処理についても対立している。現在事実上台湾を統治する中華民国政府も中華人民共和国も、連合国と日本との戦争状態を終結させた日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の締結に加わっていない(中華民国とはその後、日華平和条約を締結)。中華人民共和国政府はこの点を捉えて、この条約の合法性と有効性を承認しないという立場を取っている。
一方、日本政府は第二次世界大戦の戦後処理は妥当なものであり、尖閣諸島は1895年1月14日の編入以来一貫して日本が統治し続けてきた固有の領土であって、このことは国際社会からも認められている、としている。
中国側の主張
1943年のカイロ宣言では、日本は中国東北部(満州)や台湾、澎湖列島などを含める土地を返還すると規定している。 釣魚台(尖閣諸島)はそれらの地域に含まれているのだから、返還されるべきである。
中華人民共和国政府は日本国とのサン・フランシスコ平和条約に参加していないのでこの条約に拘束されない(「非合法であり無効」の立場)。
一般論として清国政府が締約した各種条約は帝国主義国家の不当な侵略の元で締約されたものであり、国家の継承の観点から承服できかねる点が多い。
日本側の主張
1895年1月14日の編入以来、南西諸島の一部を構成するものであり、下関条約によって割譲された台湾および澎湖諸島には含まれていない。このことは尖閣がすでに日本の一部(沖縄県)を構成することを双方に了解していたことを示しており、中国が主張する「サン・フランシスコ平和条約は非合法であり無効」の立場あるいは平和条約に参加していないこととは無関係な事実であり日中共同声明の前提である。
中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し何等異議を唱えなかったことからも明らか。
これより先に出されていた「連合国軍最高司令官総司令部覚書」667号(SCAPIN667 (Supreme Command for Allied Powers Instruction Note No.677, January 29,1946))「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」に同諸島が含まれている事実に対しても何等異議を唱えなかった事実がある。
1969年に中国政府は釣魚台群島ではなく尖閣群島と明記した地図を発行している[40]。
尖閣諸島の領有が影響する問題 [編集]
東シナ海ガス田掘削マップ
尖閣諸島の領有が影響を与える問題が存在する。
排他的経済水域の境界
尖閣諸島が中国領
沖縄トラフ(南西諸島の北西沖にある海盆)の端まで中国の権利が及ぶ可能性がある。
尖閣諸島が日本領
日中中間線 - 国連海洋法条約の規定に沿った解決策で決着。